fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

何もしてないのに「やりたいこと」だなんて片腹痛い

先日いっしょにビールを飲みにいった日本人男性に、なんだかイライラしてしまった。

 

彼はライティングの仕事がしたいと、未経験のインターンとしてウェブ記事を作っている。もともと全く別職種・別業界にいたけど、30歳を目前に、方向転換するなら今だと、会社をやめてオーストラリアに来たらしい。もっと遡ると、お笑い芸人になりたかったんだそうだ。

 

飲んでいる間、「もともとお笑い芸人になりたくて〜」「文章書くのが好きだからそっちの仕事をしたくて〜」とやりたいことについて話してくれるのだが、だんだん腹が立ってきた。彼が話すやりたいことは「やりたいこと」で止まっていて、そこに向かってこれといった行動を起こしているわけではない。

 

もしもライティングの仕事がしたいんだったら、1日数時間のインターンでは不十分だ。第一、文章を書くのが好きなら、書けばいい。いまの時代、ブログなんて一瞬で立ち上げられるし、そこから「おもしろい記事が書ける人」という実績ができて、仕事に繋がって……なんて可能性はゼロじゃない。素人が趣味でやっていたブログなりTwitterなりが有名になって、書籍化されることもめずらしくない。

 

しかもやりたいのはサッカーに関するライティングだそうだ。理由を聞いたら「海外のサッカー事情は日本にそこまで詳しい情報が入ってこないし、言いたいことがたくさんある」と。なおさら書けよ、サッカーブログを。

 

オーストラリアに来てまで、あれがやりたいこれがやりたいと、いい大人が言うだけで終わらせてどうしようというのだろうか。

折りたたみ傘を持ち歩く人はダサい

傘が嫌いで、日本にいるときは折りたたみ傘なんて持ってもいなかった。

 

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今はむしろ折りたたみ傘しか持ってないから、ここ1カ月雨続きのシドニーで、折りたたみ傘の出番は必然的に増える。こっちで購入した、8ドルの赤い傘を見るたびに、高校生くらいの頃からずっと抱いている、「折りたたみ傘を持ち歩く人はダサい」という考えが頭をよぎる。

 

なんだか知らないけど、折りたたみ傘を持ち歩く人のことをダサいと思ってしまう。意中の相手がカバンに折りたたみ傘を忍ばせてることがわかった日には、「あぁ、折りたたみ傘を持ち歩くタイプの人なのか」と勝手にがっかりする。

 

デザインうんぬんの話ではなく、ダサさの原因は折りたたみ傘を持ち歩く理由だ。

 

確実に雨が降るであろうことがわかっているなら別にいい。どうしても濡らしてはいけない物を持っているから雨が降るかはわからないけど念のため折りたたみ傘を持ち歩く、みたいなケースに対しても特に何も思わない。「ふーん」だ。なぜならそこには必然性がある。

 

わたしがダサいと思うのは、「雨が降るかわからないけど、いつ降ってもいいように」という理由で折りたたみ傘を持ち歩く人だ。

 

カバンの中のそこそこの場所を折りたたみ傘で占めることになるわけで、最近では軽量のものもあるけど、それでもそれなりの重量もある。使うかどうかわからないそこそこの大きさのものを1日中カバンに入れて持ち歩いてまで、そこまでして雨に濡れたくないのか。降るかどうかもわからない雨に、そこまでして備える必要が果たしてあるのだろうか。たかが雨じゃないか。

 

そもそも雨が降ったら、そのときに対処法を考えればいい。多少の雨なら濡れたっていいし、濡れたくなければコンビニで傘を買うなりカフェで雨宿りをするなりすればいい。いざとなったらタクシーという手もある。

 

大げさな言い方になるけど、いつ降るかわからない雨に備えて折りたたみ傘を持ち歩く姿に、保守的な姿勢や柔軟性のなさを感じてしまう。惰性で持ち歩いてるとしか思えない。だからダサいし、なんとなく折りたたみ傘を持ち歩くタイプの人は仕事もできなさそうな気がしてしまう。

 

いったいなぜわたしは折りたたみ傘を持ち歩く人に対してこんな気持ちを抱くようになったのか。別に個人の勝手じゃないか、とツッコミを入れつつ、ダサいと思う気持ちが止められない。

外国人のボディタッチは激しい上に場所もすごい

「外国人はボディタッチが激しい」とはよく聞く話。たしかにあいさつがハグだったりほっぺをくっつけてのキスだったりするから、日本人と比べてボディタッチが激しいのは想像がつく。たぶんパーソナルスペースが日本人より狭いんだろう。

 

だから外国人の友達と接するときにボディタッチが多いのは想定の範囲内だった。けど、戸惑うのは男性の友達がタッチする場所だ。

 

頭をポンとされたり髪をサラッてされたり、背中に手を添えられたりするのは序の口で、胸の横というか脇の下というか、ブラジャーからはみ出た肉が気になるあの部分に横に座っている話し相手が「おいおい冗談だよ」みたいな感じでそっと触れてきたり、話しながら歩いているときに「ヘーイ!」みたいなノリでお腹をつついてきたりする。

 

しかもボーイフレンド感を出されるというか、なんだかいやらしさを感じるというか、実際彼らがどういうつもりなのかはわからないけど、基本的に下心を感じる触れ方だ。好きな相手なら嬉しいけど、友達にそういう触られ方はされたくない。

 

朝会ったときや別れ際に頬をつけて口でチュっていうあいさつには一向に慣れないし、男女問わず、あまり親しくない相手がぐっと近寄って肩を組んでくるのも居心地が悪い。よほど仲の良い相手でない限り、親密なスキンシップは好きじゃない。

 

それでも、こういうふれあいが多いのは素敵なことだと感じている。人と人が物理的に触れ合うことは安心感につながるし、親密さも増す。居心地の悪さを感じながらも、なんだか気持ちが温かくなる。

 

日本人が同じようなスキンシップをしたら気持ち悪いけど、もしも日本で一人暮らししていたときにこういう風に触れてくれる人が日常的にいたら、時々襲ってくる猛烈な孤独な気持ちは楽になったのかもな、と思う。

「日本語を話す日本人の見た目の人」が日本人とは限らない

 前にオーストラリア人が白人の見た目をしているとは限らないって話を書いた。

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日本には「日本人の見た目じゃない日本人」がいないから、「アジア人の顔を持つオーストラリア人」というのがどうにも不思議な気がしてしまうけど、よく考えると日本にも見た目と国籍が一致しない人たちがいる。日本人みたいな外国人、いわゆる「在日」だ。

 

シドニーに来て、韓国語の名前を名乗る在日韓国人の子に会った。生まれ育ったのは日本で、日本語が母国語で、日本では日本名を使っていたという彼がオーストラリアで韓国語の名前を名乗る理由はわからないけど、少なくとも日本で韓国名を使ったら、不便が多そうなのは想像できる。

 

わたしの父の最初の記憶は「姉に手を引かれて防空壕に逃げ込む記憶」だそうで、要は戦時中の生まれだ。そんな父は、在日含む韓国人が大嫌いで、結婚相手に韓国人を連れてきたら許さないと宣言されたこともある。わたしには在日韓国人の友達がいるし、こうして外国で生活するなかで韓国人の友達もできた。だから父のこの意見は大嫌いだけど、喧嘩になるからだいたい途中で「この話やめよ!」と切り上げる。

 

反論を試みたことは何度かあるけど、どうやら韓国人を嫌うのは理屈じゃない。嫌な体験をしたことがあるのかどうかは知らないけど、凄惨な時代を生き抜いてくるなかで植え込まれた価値観なんじゃないかと思っている。たぶん、父の世代の一般的な価値観ではないか。

 

だから日本で在日韓国人の話が公に話される機会は少ないし、あったとしても否定的な話題が多い。でも、黒人をひとくくりに怖い人たちとまとめられないように、在日だからろくでもないなんて、絶対にひとまとめにしてはいけない。

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父の世代の人たちが在日や韓国人へのイメージを変えることは限りなく不可能だと思うけど、わたしたち世代なら、先入観なく、きちんと自分の目で判断できるはず。そういう目を養うためにも、海外留学は若いうちにすべきだと思う。外国人だらけの海外で出会うアジア人への親近感は、それこそ理屈じゃない。

 

帰ったら「GO」を見よう。

日本人は無意識に「白人がすばらしい」の世界に生きている

メルボルンに行く友達に「シドニーよりも黒人が多かった」と言ったら、「えー最悪」という返事が返ってきた。理由を聞くと「怖いから」。そういうイメージはたしかにある。よくわかる。でも、けっこうビックリした。

 

黒人をひとくくりに「怖い」とまとめるのはすごく乱暴だし、なにより人種差別だ。そもそも、よく考えると怖いと思う理由もよくわからない。

 

アラブ系の人であれば「テロのイメージがあって怖い」とか、アメリカ系の人であれば「レイプのイメージがあって怖い」とか、南米系の人だったら「南米は治安が悪いイメージがあるから怖い」とか、そのイメージが合っているかはさておき、それぞれ怖い理由がある。でも黒人を怖いと感じる理由の多くは、「なんとなく怖い」程度のものじゃないのか? その子も実際に黒人によって怖い経験をしたことがあるわけではないのに、無意識に怖いというイメージを抱いている。ただの先入観。それはものすごく危険なことなんじゃないか。

 

一方でその子は白人とは関係を持ったことがあるという。前にも思った以上に白人男性とセックスをする日本人女性が多いことに驚いたけど、彼女も白人に対しての恐怖心はないと話す。

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オーストラリアに来る前、わたしは冗談で「次会うときは金髪の子供抱いてるかもしれないっす!」なんて周囲の人に言っていて、周りも「イケメンの外国人彼氏できたら教えてね!」と返してくれていた。わたしも周囲の人も、ここでイメージしてる外国人は白人だ。アジア人でもアラブ人でも黒人でもなく、白人。

 

こっちで生活していて、金髪の白人とコミュニケーション取るときになんとなく萎縮してしまう、ということに気づいた。アジア人や髪が黒い欧米人は大丈夫だけど、金髪で青い目の、いわゆる「白人」には緊張する。

 

どうやら、わたしは知らない間に「白人が優位」の世界で生きてきたらしい。

 

考えてみれば広告に出てくる外国人モデルはまず白人だし、わたしが見たことがある海外セレブもほとんどが白人だ。仕事でイメージフォトを探すときも白人の写真を選んでいたし、イケメン外国人といえば「金髪で青い目の白人」で、両親に結婚相手が外国人だったらどうする?と聞いたら、「白人ならいいけど、結婚相手が黒人やアジア人はちょっと嫌」と言われた。

 

もともと白人男性に憧れがあるわけでも、欧米の映画や文化が好きなわけでもないわたしですら、こうだ。アメリカの警察が黒人を射殺したといった白人と黒人の人種差別に関するニュースを見ていて、「別にわたしは差別してない」と思っていたけど、人種に対する先入観や無意識のイメージは知らず知らずのうちに植えつけられている。

 

本当に、とても怖いことだと思う。

幸せのハードルが低いと生きやすい

こないだこんなブログを書いたけど、 割とあっさり希望が通った。とりあえず一安心。

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年収含む条件について詳しく教えてもらう中で、1社目の待遇が悪いと幸せのハードルが下がって生きやすいことを再確認した。

 

前にも書いた通り、私が新卒で入った会社は、ゴリゴリの営業会社で、典型的な長時間労働体質。 

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営業で売れればインセンティブがつくけど、普通の営業や編集含むスタッフの年収はそこそこ。もちろん残業代はでないから、時間あたりで考えたら決して高単価ではなかった。

 

そもそも入社前にリーマンショックが起きて会社がつぶれかけたために、突然新しい階級ができて初任給は1万円減少。紙は4upで白黒両面印刷が推奨され、間違ってカラー印刷をしようものなら殺されそうな剣幕で怒鳴られたし、トイレの手を拭く紙のそばには「1枚で十分手が拭けます」と注意書きが貼ってあった。当然のように夏のボーナスはカットで、かろうじて支給された冬のボーナスは1万円。幼稚園生のいとこの子供のお年玉より少なかった。

 

そんなんだから、「待遇は悪いのが当たり前」くらいに思っている節がある。そのぶんたくましく生きれている面はあるし、今回も「残業代が支給される」と聞いて小躍りした。夢の残業代!

 

ブラック企業だなんだと騒がれているし、あまりにひどい会社は消滅すればいいと思っているけど、最初に待遇の悪い会社に入るのも悪くない。選んだ道を正解にするかどうかは自分次第としみじみ思う、晩夏の夜。

オーストラリア人が白人とは限らない

日本に住んでいるのは、ほぼ全員日本人の顔をした日本人だ。ハーフやクウォーターもいるけど、大多数は見た目で日本人とわかる。

 

ところがオーストラリアの場合、留学大国で移民国家だから、いろいろな見た目の人が生活している。国自体も建国から100年ちょっとでまだ若い。つまり、オーストラリア人を2世代ほど遡れば、イギリス人だったりイタリア人だったりする。

 

そんなもんだから、まず見た目で誰がオーストラリア人なのかは判断できない。独自の言語があるわけじゃないから、話をしたとしても、せいぜいなまりやアクセントで推測するくらい。結局は「どこの国の人?」と聞くまで、その人の国籍はわからない。

 

最近、オーストラリア人とデートをしている。

 

日本の友達にこう言うと、相手は白人だと勝手に思い込む。でも、わたしがデートしているオーストラリア人は、香港人の両親を持つオーストラリアで生まれ育ったオーストラリア人だ。つまり、見た目は完全にアジア人。

 

少し前にミスユニバースの日本代表にハーフが選ばれたかなんかで、「ハーフは果たして日本人なのか」みたいな議論があったけど、オーストラリアで生活してみた今、この議論への印象は以前と異なる。

 

前は「紛れもなく日本で生まれ育った人なのに、なんてひどいことを言うんだろう」としか思わなかったけど、今はそう思うのも仕方がない気がしてしまう。だって、わたし自身がアジア人の見た目のオーストラリア人のことをオーストラリア人と認識し切れていない。ほとんど日本人しか住んでいない島国日本では、「見た目が日本人じゃないけど日本人」という人にまず出会わない。だから日本人は、「見た目がいわゆる○○人ではない○○人」に慣れていない。

 

もちろん日本で生まれ育ったわたしもその一人なわけで、友達に「オーストラリア人っていっても両親が香港人だから見た目はアジア人なんだけどね」といちいち注釈を入れたびに、なんだか違和感を感じている。