fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

「友達に用もないのに連絡したら迷惑」は大間違い

定期的に連絡をくれる高校時代の同級生や前職の同期がいる。わたしの近況を気にかけてくれたり、彼女たちの近況を教えてくれたり、内容はその時々でさまざまだけど、連絡をくれるということ自体がすごくうれしい。

 

彼女たちの日常の中で「そういえばどうしてるかな?」と思い出してもらえること、何かあったときに連絡しようと思ってくれてること。自分がそういう存在であることに幸せを感じるし、そんな友達がいることが誇らしい。わたしのこれまでの人生は捨てたもんじゃないぞ、という気持ちにもなる。

 

連絡をくれるだけでもハッピーなのに、さらに2人の友達が実際にオーストラリアまで遊びに来てくれた。1人は昨年の11月に、もう1人は昨日からシドニーに滞在していて、週末には一緒にエアーズロックに行く。

 

東京とシドニーは直行便で10時間弱。ヨーロッパや直行便がない南アフリカなんかと比べれば来やすいし時差もないけど、それでも遠い。第一、貴重な休みに他の魅力的な旅行先を蹴ってオーストラリアを選んでくれることがありがたい。しかもわたしが住んでいるのは、本気出したら1日でだいたい見終わるシドニーだ。

 

人に心を許して本当の意味で仲良くなるのが苦手なわたしにとって、気心の知れた友達が遊びに来てくれるのは、ものすごくうれしい。ベラベラベラベラしゃべり倒し、テンションがとんでもないことになっているのがわかるけど「こんなテンション上がっちゃって『こいつよくしゃべるな〜』と思われてんだろうな」と自覚できても全然抑えられない。

 

離れてみると、日本にいる友達が恋しいし、自分にとっての彼女・彼らの存在の大きさがよくわかる。だからこそ、ちょっとした連絡が死ぬほどうれしいし、実際に遊びに来てくれた日には舞い上がるほど幸せな気持ちになる。自分が外国に住むまでは「用もないのに連絡しちゃ迷惑かな」なんて思ってたけど、とんでもない大間違いだった。

街中でのイヤホンマイクが普及すれば、歩きながら英語の練習ができる

シドニーの街中で、マイクがついているイヤホンで手ぶらで電話をしている人をよく見かける。パッと見は大きな声で独り言を言っているみたいだからギョッとするけど、彼らは意に介さずしゃべりながら歩いているので、今はもうすっかり慣れた。

 

日本で歩きながらイヤホンマイクを使っている人はこんなに多くなかったように思う。もしかしたらわたしが日本を離れたこの1年の間に普及しているのかもしれないけど、少なくともわたしがいた2015年まではあまり見かけなかった。

 

街中での手ぶら電話を日本で見かけないのは、日本人が周りの目を気にするからじゃないかという気がしている。オーストラリアに住む人はどうやらあまり他人の目というものを気にしないようで、だから平然と裸足で街中を歩くし、太っていようと着たい服を着る。

 


イヤホンマイクで話しながら闊歩する人が多くいるおかげで、わたしは通勤時間に歩きながら英会話の練習ができている。イヤホンさえしていれば、声を出して英語を話しても不審に思われない。おかげさまでiPhoneに入れた瞬間英作文が大活躍だ。

 

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

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人目を気にしないのがすべてにおいて良いというわけではないけど、この国くらい日本人がおおらかだったら、日本に蔓延するストレスの7割くらいは消滅しそうだ。

マンリーのパブ「4 Pines Beer」が江ノ島あたりに進出してほしい

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母と妹がゴールデンウィークにシドニーへ遊びに来た。滞在期間は6日間。ずっとシドニーだし、大したことはしていない。旅程は、ざっとこんな感じ。

 

1日目(日):ロックスマーケット、マンリーへ行きマーケット&4 Pines Beer

2日目(月):わたしは会社、彼女らはウェストフィールドやらのショッピングモールで買い物、夜は合流してシドニー最古の老舗パブThe Lord Nelson Brewery Hotelでビール。

3日目(火):ボンダイのビルズでブランチ後、クージーまでコーストウォーク、表参道ヒルズに上陸するフラテリパラディソというイタリアンでパスタ。

4日目(水):二人はブルーマウンテンズのツアー、わたしは会社。ロックスの

Phillips Foote Restaurantでステーキ。

5日目(木):フィッシュマーケットで牡蠣と刺身とフィッシュアンドチップスと白ワイの後、QVBをぶらついてコガルーでお土産を物色。ホテルで休憩してからチャイナタウンとパディスマーケットを散策し、餃子。

6日目(金):再びマンリーへ。お土産屋を覗きながらフラフラして、またしても4 Pines Beerへ。二人は夕方に帰国。

 

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二人がことさらに気に入ったのがマンリーで、というかマンリーにある4 Pines Beerというパブで、滞在中に二回訪れた。フェリー乗り場の斜め前にあるお店で、自家製ビールがすごくおいしい。

 

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お店もパッケージもシャレていて、ボトルや缶は市内の酒屋でも買えるけど、タップから飲むビールの香りと味は雰囲気も相まって格別だと思う。特に一番右のスタウトはニトロスタウト、つまりは窒素を使っているため、ものすごくクリーミーな泡がふわふわ。

 

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このビールを母がとても気に入り、定番のペールエールは「これまで飲んだビールの中で一番おいしい」と妹のベストビールになった。

 

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もちろん海もキレイ。ボンダイビーチが観光客が多くて賑やかなのに対して、マンリーは賑わってはいるものの、どこかのんびりした雰囲気。市内からフェリーでオペラハウスやハーバーブリッジを眺めながら30分ばかしの遊覧船気分を味わえるのも満足度が高い。シドニーに旅行する人に一番おすすめしたいスポットとお店。

「指切りげんまん」の歌の矛盾

この間読んだ本に書いてあった、「指切りげんまん」の歌の矛盾の話がおもしろかった。

 

いわく、「『嘘ついたら針千本飲ます』っていうけど、嘘をついたとしても本当に針千本を飲ますことはないわけだから、この歌自体が嘘をついていることになる」と。

 

「嘘をついてはいけない」という言葉はよく耳にするものの、実際に嘘をつかずに生きていくことはとんでもなく困難だ。周りの人を傷つけ、人間関係が上手くいかなくなるであろうことは想像に難くないし、いつも本当のことしか言えないとなると逃げ道もない。現に「嘘も方便」なんて言葉もある。

 

「人生は小説より奇なり」というけれど、そもそもフィクションの小説もマンガも映画もドラマも、言ってしまえば嘘だ。フィクションのない世界なんて味気ないし、嘘のない人生だっておもしろくもなんともない。

 

村上春樹の小説に「貧弱な真実より、華麗な虚偽を愛する」とあったが、わたしはこの考え方に大賛成だ。例えば恋人から「ごめん、浮気しちゃった」なんて、絶対に言われたくない。相手を愛していて、関係性を保ちたいのであれば、そこは嘘をつき、絶対にバレないようにするのが優しさだと思う。たとえ相手の言っていることが嘘であっても、それを真実と認識していれば、その人にとってその嘘は真実になる。しょうもない真実を知るくらいだったら、死ぬまで騙され続けて幸せでいたい。

 

一言に「嘘」といっても、嘘と真実の間にあるものはさまざまだ。悪意や利己心による嘘もあれば、優しさやユーモアのための嘘もある。

 

こんなことを考えていくと、「嘘ついたら針千本飲ます」の矛盾は、すごく人間っぽい。

「記事を作る」という仕事のやりがいを再確認

最初に1ヶ月だけ働いた日本食レストランで一緒だった子から、突然連絡が来た。なんでもオーストラリアの国内旅行中に携帯を失くして、せめて盗難届を出して保険でカバーしようとあれこれ検索していたら、わたしが体験談として書いた、盗難被害にあったときの対処法に関する記事を見つけたのだそうだ。

 

先輩被害者としていくつかの質問に答える中で、わたしの記事が「一番わかりやすくてすごく参考になりました!」と言ってもらえたことが、ものすごくうれしかった。もちろん気を使ってくれたのかもしれないけど、それでも、わたしが書いた記事が必要としている人にちゃんと届いて、しかもそれが役に立ったというのであれば、こんなにうれしいことはない。

 

数年前、編集部に移動したばかりのころにあった出来事を思い出す。大学時代の先輩女性が「すごく考えさせられた」と話す記事の担当が、たまたまわたしだった。彼女はわたしが関わっているなんて全く知らずに読んでいて、そのときも、とんでもなく、ものすごくうれしかった。

 

ウェブ記事はどのくらい見られているのかが数字でわかるし、SNSでシェアすれば読者の人がコメントを残してくれることもあるけど、よほど反響が大きくない限りはそんなに感想を聞ける機会はない。わたしが担当していることを知って読んでいる友達の声は、多少気を使ってくれていると思うから、もちろんうれしいけどリアルではない気もしてしまう。

 

だからこういう思わぬところからの反響は、本当に、本当に、心の底からうれしい。この仕事の一番のやりがいだし、醍醐味だし、喜びだ。

30歳の誕生日を一人で過ごして、自由と孤独は表裏一体であることを知った

独身で彼氏がおらず、家族や親戚も健康で元気。唯一わたしを縛っていた会社をやめたら、ものすごく自由になった。キリがいいところで仕事をやめたから未練はないし、ある程度の貯金もあったから金銭的な不自由もない。

 

「何でもできる!自由って最高!」くらいに、フィリピンにいたときは思っていた。気持ちが変わり始めたのは、オーストラリアに来てからだ。

 

シドニーに来た当初、知り合いは一人もいなかった。「この街に私のことを知ってる人は誰一人いないんだな」と思うと不思議だった。東京で生まれて東京で育って東京で生活していたわたしにとって、知らない街で生活すること自体が初めてだった。

 

到着して2週間後が30歳の誕生日だった。

 

シェアルームに住んでいたし、とりあえずで日本食レストランのバイトも始めていたから多少の知り合いはいたけど、誰もわたしの誕生日なんか知らないし、まだたいして親しくもない。お祝いしてよ〜なんて言える性格でもないから、メールやSNSのメッセージを除けば、誰からも「おめでとう」と言われることなく誕生日が終わった。とんでもなく孤独だった。

 

自由であるということは、言い換えれば人間関係に縛られない状態なわけで、自由度が上がれば上がるほど密な人間関係からは遠ざかる。今はネットさえつながればいくらでも連絡は取れるけど、顔を見て話せたとしても、やっぱり直接会うのとは全然違う。

 

そのことに気づいてから、自由に対しての考え方は変わった。わたしにはまだ自由であることの代償としての孤独を楽しめる度量がないことがよくわかったし、前みたいに単純に「自由最高!」なんて思えない。

 

「束縛」や「人間関係に縛られる」という言葉はネガティブな文脈で使われることが多いけど、縛られてもいいと思える関係性があるというのは、それはそれで素敵なことだ。「会いたい」と思う時点で、大げさに言えばその人との関係に縛られているわけで、そういう対象がいるということはとても幸せなこと。

 

「自分にとって快適な自由度」を意識してみれば、今後の幸せな生き方が見えてきそうだ。

「なんとなく不安」を解消するたった一つの方法

日本で働いていたとき、なんだか漠然と不安だった。仕事は好きだったし、やりがいも感じていたし、何でも話せて信頼できる友達がいて、家族とも仲が良く、大きな不満もない。なのに、なんとなく不安な気持ちを抱えていた。

 

心のどこかでいつも「いつまでこの会社で働くんだろう」という思いがあった。他の会社でも働いてみたいし、海外に 長期で住んでみたい。でも今の仕事好きだし、大きな不満があるわけじゃないし、まだやれることもある。それなのに、「このままでいいのか」という思いは消えなかった。ついでにいうと、この年代おなじみのプライベートのモヤモヤもあった。彼氏いないし、結婚も出産もしてみたいけど、できるのか?あぁもう私生活も仕事も、わたしの人生はどうなるんだろう……。そんなことを延々と、グルグルグルグル考えていた。

 

そんな常にまとわりついていた不安は、会社をやめることを決めてから、全部嘘みたいになくなった。本当にびっくりした。自分で決断して、やりたいことに従うと、こんなに楽になるのか。

 

岡本太郎が「自分の中に毒を持て」というエッセイの中で、「二つの選択肢で悩むのであれば、困難だと思う方を取れ」と書いていたことを思い出す。似たようなことを言う人はたくさんいるけれど、その理由に、当時のわたしの目からは鱗が100枚くらい落ちた。

 

「自分にとって簡単な選択肢を取るのが当たり前なのに、それを選んでいいのか悩むということは、もう一つの困難だと思っている選択肢に魅力を感じているということ。だったらそっちを取ればいい」

 

そしていざ「困難と思った選択肢」を選んでみて、つくづく岡本太郎の言っていることは正しいと思う。

 

本当にわたしは自分の仕事が好きだったけど、それ以上にやりたいと思っていたことは、会社をやめて海外に行くことだった。不安の原因は、やりたいことに蓋をして、変化を恐れて逃げ回って、「だって仕事が好きだから」と自分をごまかしていたことだった。ずっとまとわりついていた不安な気持ちは、本当にやりたいことに気づいて行動することで簡単に消えるものだった。

 

会社をやめて外国に行く。一般的に見たら不安な人生を歩んでいるように見えるだろうし、もやもやしていた当時のわたしもそう思っていたけれど、いざやってみると不安なんてまるでない。そこにあるのは、自分の人生に対する圧倒的な納得感だ。 

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)