fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

存在感がすごいオーストラリアのバス運転手

バスでの移動中に止まった停留所で、満席の車内におばあさんが乗ってきた。わたしが座っていたのは段差の高い先頭の一人席で、どう考えても足の悪いおばあさんに譲るには向いていない。

 

これまでに公共機関で子連れの親子やお年寄りに席を譲る人を何度か見たことがあったから、きっと誰かが席を立つだろうと様子を見ていると、バスの男性運転手が叫んだ。

 

「誰が席を譲ってあげて!」

 

声かけに応じて、乗客の一人が席を譲り、おばあさんは無事席に座れた。

 

また別のときに乗った始発のバスでは、始発ゆえに乗り込む人が多く、OPALカードという日本でいうSUICAをタッチする機械で人が滞っていた。するとバスの女性運転手が叫んだ。

 

「タップする機械、他にもあるからそっちも使って!」

※こっちではタッチではなくタップという

 

バスにマイクはないから、どちらの運転手も地声。双方ともガタイが良かったことも相まってなかなかの迫力だったけど、バスを仕切るのは運転手だ。横柄なのは嫌だけど、それが乗客のためならば、このくらい存在感があっていいじゃないか。

 

もちろん日本のバスにも気の利いた運転手はいるし、オーストラリアの全運転手がこうではないけれど、オーストラリアの方が運転手と乗客の関係が対等な気がしている。サービス業全般に言えることだけど、日本は「お客さまは神様」精神を、サービス提供側も消費者も見直した方がいいのではないか。

 

もちろん精神として持っていることが日本のすばらしいホスピタリティに繋がるのだろうけど、もらった金額に対してのサービスをするのが本来であるはずなのに、「お客さまは神様だから」と、値段からかけ離れた過剰なサービスをしていることがあまりにも多い。

 

一方の個人の消費者も、「お客さまは神様」という大義名分を笠に着て、本来はサービスであったはずの過剰なサービスを当たり前のように受け止めている。これではサービス提供側が気の毒だし、消費者にとってもハードルが上がるばかりでちょっとやそっとじゃ満足がいかなくなる。両者にとって窮屈だし、不幸でしかない。

 

「安くてサービスが良い」「安くて品質が良い 」というのは本来付加価値であって、当たり前ではない。印象的だったバスの話を書こうと思ってすっかり脱線してしまったけど、たまには勢いで書くのもいいだろうということでご愛嬌。

 

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