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fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

奢らず、謙虚に、初心忘れるべからず

転職した前職の上司に、日本に帰ってくるなら一緒に働かないかと声をかけてもらった。今日はその会社の社長と最終面接。この日に備えて元上司とは先週スカイプで予行練習を2回行い、今朝は考えをまとめるために7時半に会社へ行き、帰り道もブツブツ予行練習しながら歩いた。

 

そうして迎えた最終スカイプ面接。結果待ちの状態だけど、手応えはまるでない。緊張してしまったし、まどろっこしい話し方をしてしまった。

 

準備不足というか、考えが甘かったというか、結局のところ準備したつもりになっていたのかもしれない。肝心の事業をどう拡大していくかという部分について、しっかり考えを話すことができなかった。頭が真っ白になってしまった。

 

元上司にたくさん時間を割いてもらって事前準備ができたというアドバンテージがあったのに、なんと不甲斐ない面接だったことか。シドニーに来て以来、周りの人たちが「仕事ができる」とやたら褒めてくれるもんだから、恥ずかしながらその気になってしまっていた。わたしはビジネスマンとして、全然大したことがない。奢らず、謙虚に、初心忘れるべからず。

世の中には「なんとなく」で話が進む会社もある

シドニーの職場と、日本で働いていたときの職場は、全然違う。規模や社風も違うけど、ひとつ大きなカルチャーショックだったのが、「要は?」とか「なんで?」って誰も言わないこと。

 

前職では、だらだら話そうものなら「要は?」と話を遮られた。それを繰り返すうちに、「結論→理由」という話し方ができるようになって、すっかりそれに慣れたから、要点がよくわからない話をみんなが辛抱強く聞いていることに驚いた。

 

新卒時代の初めての上司はとにかく「なんで?」と聞き続けるタイプだった。「なんでなんで攻撃」を連日受けたことにより、今では「なぜそう思うのか」「根拠はなんなのか」といった裏付けを意識する癖がついた。なんなら、根拠がない話は気持ち悪くて聞いていられない。でも今の職場では、割と「なんとなく」で話が進む。わたしは依然として根拠を提示し続けているけど、あまりみんなそれを気にしているようには見えない。

 

コンサルなんかと比べれば甘いとは思うけど、前職はロジックを重視する風土だった。その会社しか知らなかったから、こんなにロジックを無視する会社もあるのか!と、今の会社で働き始めてショックを受けた。

 

今の会社は「オーストラリアに住む日本人向けの情報サイト」という限られたマーケットと、競合があまりいないという特殊性もあって成り立っているんだろう。ビジネスだからロジカルに考えた方がいいとは思うけど、世の中はそういう会社ばかりでもない。

「友達に用もないのに連絡したら迷惑」は大間違い

定期的に連絡をくれる高校時代の同級生や前職の同期がいる。わたしの近況を気にかけてくれたり、彼女たちの近況を教えてくれたり、内容はその時々でさまざまだけど、連絡をくれるということ自体がすごくうれしい。

 

彼女たちの日常の中で「そういえばどうしてるかな?」と思い出してもらえること、何かあったときに連絡しようと思ってくれてること。自分がそういう存在であることに幸せを感じるし、そんな友達がいることが誇らしい。わたしのこれまでの人生は捨てたもんじゃないぞ、という気持ちにもなる。

 

連絡をくれるだけでもハッピーなのに、さらに2人の友達が実際にオーストラリアまで遊びに来てくれた。1人は昨年の11月に、もう1人は昨日からシドニーに滞在していて、週末には一緒にエアーズロックに行く。

 

東京とシドニーは直行便で10時間弱。ヨーロッパや直行便がない南アフリカなんかと比べれば来やすいし時差もないけど、それでも遠い。第一、貴重な休みに他の魅力的な旅行先を蹴ってオーストラリアを選んでくれることがありがたい。しかもわたしが住んでいるのは、本気出したら1日でだいたい見終わるシドニーだ。

 

人に心を許して本当の意味で仲良くなるのが苦手なわたしにとって、気心の知れた友達が遊びに来てくれるのは、ものすごくうれしい。ベラベラベラベラしゃべり倒し、テンションがとんでもないことになっているのがわかるけど「こんなテンション上がっちゃって『こいつよくしゃべるな〜』と思われてんだろうな」と自覚できても全然抑えられない。

 

離れてみると、日本にいる友達が恋しいし、自分にとっての彼女・彼らの存在の大きさがよくわかる。だからこそ、ちょっとした連絡が死ぬほどうれしいし、実際に遊びに来てくれた日には舞い上がるほど幸せな気持ちになる。自分が外国に住むまでは「用もないのに連絡しちゃ迷惑かな」なんて思ってたけど、とんでもない大間違いだった。

街中でのイヤホンマイクが普及すれば、歩きながら英語の練習ができる

シドニーの街中で、マイクがついているイヤホンで手ぶらで電話をしている人をよく見かける。パッと見は大きな声で独り言を言っているみたいだからギョッとするけど、彼らは意に介さずしゃべりながら歩いているので、今はもうすっかり慣れた。

 

日本で歩きながらイヤホンマイクを使っている人はこんなに多くなかったように思う。もしかしたらわたしが日本を離れたこの1年の間に普及しているのかもしれないけど、少なくともわたしがいた2015年まではあまり見かけなかった。

 

街中での手ぶら電話を日本で見かけないのは、日本人が周りの目を気にするからじゃないかという気がしている。オーストラリアに住む人はどうやらあまり他人の目というものを気にしないようで、だから平然と裸足で街中を歩くし、太っていようと着たい服を着る。

 


イヤホンマイクで話しながら闊歩する人が多くいるおかげで、わたしは通勤時間に歩きながら英会話の練習ができている。イヤホンさえしていれば、声を出して英語を話しても不審に思われない。おかげさまでiPhoneに入れた瞬間英作文が大活躍だ。

 

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

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人目を気にしないのがすべてにおいて良いというわけではないけど、この国くらい日本人がおおらかだったら、日本に蔓延するストレスの7割くらいは消滅しそうだ。

マンリーのパブ「4 Pines Beer」が江ノ島あたりに進出してほしい

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母と妹がゴールデンウィークにシドニーへ遊びに来た。滞在期間は6日間。ずっとシドニーだし、大したことはしていない。旅程は、ざっとこんな感じ。

 

1日目(日):ロックスマーケット、マンリーへ行きマーケット&4 Pines Beer

2日目(月):わたしは会社、彼女らはウェストフィールドやらのショッピングモールで買い物、夜は合流してシドニー最古の老舗パブThe Lord Nelson Brewery Hotelでビール。

3日目(火):ボンダイのビルズでブランチ後、クージーまでコーストウォーク、表参道ヒルズに上陸するフラテリパラディソというイタリアンでパスタ。

4日目(水):二人はブルーマウンテンズのツアー、わたしは会社。ロックスの

Phillips Foote Restaurantでステーキ。

5日目(木):フィッシュマーケットで牡蠣と刺身とフィッシュアンドチップスと白ワイの後、QVBをぶらついてコガルーでお土産を物色。ホテルで休憩してからチャイナタウンとパディスマーケットを散策し、餃子。

6日目(金):再びマンリーへ。お土産屋を覗きながらフラフラして、またしても4 Pines Beerへ。二人は夕方に帰国。

 

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二人がことさらに気に入ったのがマンリーで、というかマンリーにある4 Pines Beerというパブで、滞在中に二回訪れた。フェリー乗り場の斜め前にあるお店で、自家製ビールがすごくおいしい。

 

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お店もパッケージもシャレていて、ボトルや缶は市内の酒屋でも買えるけど、タップから飲むビールの香りと味は雰囲気も相まって格別だと思う。特に一番右のスタウトはニトロスタウト、つまりは窒素を使っているため、ものすごくクリーミーな泡がふわふわ。

 

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このビールを母がとても気に入り、定番のペールエールは「これまで飲んだビールの中で一番おいしい」と妹のベストビールになった。

 

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もちろん海もキレイ。ボンダイビーチが観光客が多くて賑やかなのに対して、マンリーは賑わってはいるものの、どこかのんびりした雰囲気。市内からフェリーでオペラハウスやハーバーブリッジを眺めながら30分ばかしの遊覧船気分を味わえるのも満足度が高い。シドニーに旅行する人に一番おすすめしたいスポットとお店。

「指切りげんまん」の歌の矛盾

この間読んだ本に書いてあった、「指切りげんまん」の歌の矛盾の話がおもしろかった。

 

いわく、「『嘘ついたら針千本飲ます』っていうけど、嘘をついたとしても本当に針千本を飲ますことはないわけだから、この歌自体が嘘をついていることになる」と。

 

「嘘をついてはいけない」という言葉はよく耳にするものの、実際に嘘をつかずに生きていくことはとんでもなく困難だ。周りの人を傷つけ、人間関係が上手くいかなくなるであろうことは想像に難くないし、いつも本当のことしか言えないとなると逃げ道もない。現に「嘘も方便」なんて言葉もある。

 

「人生は小説より奇なり」というけれど、そもそもフィクションの小説もマンガも映画もドラマも、言ってしまえば嘘だ。フィクションのない世界なんて味気ないし、嘘のない人生だっておもしろくもなんともない。

 

村上春樹の小説に「貧弱な真実より、華麗な虚偽を愛する」とあったが、わたしはこの考え方に大賛成だ。例えば恋人から「ごめん、浮気しちゃった」なんて、絶対に言われたくない。相手を愛していて、関係性を保ちたいのであれば、そこは嘘をつき、絶対にバレないようにするのが優しさだと思う。たとえ相手の言っていることが嘘であっても、それを真実と認識していれば、その人にとってその嘘は真実になる。しょうもない真実を知るくらいだったら、死ぬまで騙され続けて幸せでいたい。

 

一言に「嘘」といっても、嘘と真実の間にあるものはさまざまだ。悪意や利己心による嘘もあれば、優しさやユーモアのための嘘もある。

 

こんなことを考えていくと、「嘘ついたら針千本飲ます」の矛盾は、すごく人間っぽい。

「記事を作る」という仕事のやりがいを再確認

最初に1ヶ月だけ働いた日本食レストランで一緒だった子から、突然連絡が来た。なんでもオーストラリアの国内旅行中に携帯を失くして、せめて盗難届を出して保険でカバーしようとあれこれ検索していたら、わたしが体験談として書いた、盗難被害にあったときの対処法に関する記事を見つけたのだそうだ。

 

先輩被害者としていくつかの質問に答える中で、わたしの記事が「一番わかりやすくてすごく参考になりました!」と言ってもらえたことが、ものすごくうれしかった。もちろん気を使ってくれたのかもしれないけど、それでも、わたしが書いた記事が必要としている人にちゃんと届いて、しかもそれが役に立ったというのであれば、こんなにうれしいことはない。

 

数年前、編集部に移動したばかりのころにあった出来事を思い出す。大学時代の先輩女性が「すごく考えさせられた」と話す記事の担当が、たまたまわたしだった。彼女はわたしが関わっているなんて全く知らずに読んでいて、そのときも、とんでもなく、ものすごくうれしかった。

 

ウェブ記事はどのくらい見られているのかが数字でわかるし、SNSでシェアすれば読者の人がコメントを残してくれることもあるけど、よほど反響が大きくない限りはそんなに感想を聞ける機会はない。わたしが担当していることを知って読んでいる友達の声は、多少気を使ってくれていると思うから、もちろんうれしいけどリアルではない気もしてしまう。

 

だからこういう思わぬところからの反響は、本当に、本当に、心の底からうれしい。この仕事の一番のやりがいだし、醍醐味だし、喜びだ。