fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

「その会社でしか通用しない人」のいい例を見た

ある企業の会報作りの案件を担当した。夜に行われるパーティ翌日にその様子を記載した会報を配布するため、文章は事前にあらかた作っておき、パーティが終了した後に仕上げる。当初の予定は23時校了だった。

 

スケジュールに余裕がないから、事前に必要な段取りを伝えてスムーズに事が進むように具体的にやってほしいことをリクエストしていたのだが、これが驚くほどグダグダだった。伝えたことが何一つできていない。結局、校了は夜中の3時だった。

 

呆れる反面、これは「その会社でしか通用しない人」のいい例だなぁと興味を持った(実際にその会社内で仕事ができるのかはさておきだけど)。他の会社と仕事を進めるといったって、基本は一緒なはずだ。ゴールに向けてすべきことを確認して、必要なものを用意して、足りないものをどうするか考えて、段取りを整える。その仕事が自分にとって経験のない仕事だったとしても、わからないことは聞けばいいだけの話だ。まったく見当がつかないなら、それこそ何をしたらいいか全部聞いて、言われたことをきちんとやればいい。依頼した段取りを無視しておいて、「初めてなんでわからなくって……」を連呼されても、同情の余地はない。

 

「後回しでいいや」と軽んじて見られただけなのかもしれないけど、それを差し引いても、彼らは全然機能していなかった。みんなでただただテンパっていただけで、一人が文章を確認をして、その間に写真の手配をもう一人がして……という分担をするわけでもなく、みんなでわらわら同じ作業に取り掛かってどうしようどうしようと頭を抱えていただけだ。「これこれこういうことがあって、もう全然頭回らんのですわ」と電話で言われたけど、それはただ自分の無能さを露呈してるだけだ。

 

そもそも、誰一人パソコンを持っていないから驚く。スケジュールがタイトなこともパーティ会場で確認作業が発生することも散々伝えているのにも関わらず、だ。データやメールのチェックは全部スマホで、それで事足りるなら構わないけど、パソコンがないからUSBが取り込めないとか、送ったデータが見にくいと言われても、それはただの準備不足でしかない。

 

とにかく、あまりにも応用がきかない。仕事の仕方もそうだし、基本的なITの知識もなく、「USBって、パソコンにさせばデータ見れるんですよね?」のレベルだ。ウェブ上のデータ共有ツールが主流でもはやUSBが廃れつつあるこの時代に、まだUSBにも辿りついていない。恐ろしき、個人のガラパゴス化。

シドニーで生活して、「成長したい」と素直に思えるようになった

案の定、面接の結果は不採用だった。

 

落ち込んではいるけれど、納得はしている。いろいろ敗因はあったものの、単純に実力不足だ。中心メンバーとして事業を推進するほどの力は、今のわたしにはない。そういうことだと思う。

 

シドニーに来て以来、新しい発見がたくさんあって、海外で生活してみたいという望みも叶って、世界が広がった。でも一方で、ビジネスパーソンとしては停滞しているんじゃないかと感じている。

 

負荷のない楽な仕事をしていること、わたしの提案や意見に対しての建設的な反論がほとんどないこと、これまでの貯金だけで仕事をしているのに、自立していて優秀とほめられること。わたしはまだまだ大したことがないはずなのに勘違いしてしまいそうになるし、第一、貯金を使い果たした後には何も残らない。

 

今回の面接を経て、改めて負荷をかけてゴリゴリ働きたいと思った。前職が好きな「仕事を通じて成長」というフレーズに、当時は「別に成長なんかしたくないやい」と変に反発していたけど、そういう環境から離れてみて初めて素直に「成長したい」と思えるようになった。

 

腰を据えて、働きたい。愛せるサービスに携わって、仕事に熱中できる人たちと、密度濃く、前を向いて働きたい。」

 

前に自分で書いたことだけど、本当にこれに尽きる。書き残しておいてよかった。

 

 

 

惨敗した面接を振り返る

惨敗した面接の悪夢で夜中に目が覚めた。 夕方に取材があったおかげで少しは切り替えられたけど、朝から昼過ぎまで、ずっとへこんでいた。気を抜いたら発狂しそうになるくらい、思い返すととにかく恥ずかしくて、もう消えてしまいたくなる。

 


たぶん落ちた。どうにかそう受け止められるようになって、「元上司の推薦で、しかも2日間も面接の練習したのに、なんと落ちました!」と自虐する姿をイメージする余裕も出てきた。ようやく少し気持ちが落ち着いてきたから、元上司への謝罪の気持ちを胸に、昨日の面接を振り返りながら、思いの丈を書いてみようと思う。今日ばかりは支離滅裂になっても、誰にも読まれなくても構わない。

 

まず面接中に思い出していたのは、わたしは面接が苦手だったということ。面接なんて就活以来だったからそんな事実はすっかり忘れていたし、なんなら社会人経験を経てうまくなってるだろうから大丈夫くらいに思っていた。

 

苦手な理由はいくつかあるけど、一つは面接に感じる白々しさ。その会社で働きたくて面接しているわけだから、当然その会社への興味はある。「考えて実行してまた考えて……と考えることが多いですが、こういう試行錯誤を楽しいと思えますか?」と質問されて、「思えないです」なんて答えるやつはいない。

 

いかに興味があって、仕事への適正があって、というのをアピールしなければいけないわけだけど、興味があることも適正があることも前提なわけで、絶対に「ない」なんて言わないわけで、じゃあ何がポイントかというと、その「ある」の根拠だと思うんだけど、話せば話すほど言葉が浮いていく気がしてしまう。

 

今回わたしは本当にその会社のやっていることに興味があったし、仕事もおもしろそうだと思っていた。なのに、それを言葉にすればするほど、なんで白々しく感じてしまうんだろう。みんな白々しいと思いながらやっているのだろうか。

 

もう一つ、自己PRも苦手だ。「謙虚」と「自信を持つ」のバランスの取り方がわからない。過去の実績はまぎれもなく事実だけど、その実績が出せた要因はわたしの実力が全てではないわけで、仮にまったく同じ仕事があったとしても、働く環境によって成果は変わってくるはずだ。もちろんそれを前提として、「この人はうちの仕事ができそうだな」と期待してもらうための面接なんだけれども、どうも「これができる!」とアピールしきれない。できるとは思っているんだけど。願わくばとりあえず短期で仕事させてもらって、それで判断してほしい。それなら自信がある。

 

あとは瞬発力がない。質問に対してその場で考えて答えるのが下手くそで、焦るばかりで全然頭が働かない。一人で考える時間を多少なりともとってもらえれば考えをアウトプットすることはできるけど、目の前に人がいるともうだめだ。うまく答えられなかった質問を振り返れば、自分の中に答えはあるのに、その場ではまるで答えられない。頭の中に答えがあるからこそ、それが伝えられないのは本当に悔しい。わたしはこんなもんじゃないのに……と面接中に思うけど、そういう瞬発力含めて面接なわけで、悔しくて泣けてくる。

 

そして、人見知りという事実。中高生のころはクラスに馴染むころには3学期になっていたし、重度の人見知りに悩んで病院に行こうかと思っていた大学入学当初は、声が震えて知らない人とまともに話せなかった。社会人になって、「○○会社のわたし」とか「編集者としてのわたし」としてであれば、知らない人だろうと話せるようになったけど、「わたし」として知らない人と話すのは今もものすごく緊張する。今回の面接の最中、手はブルブル震えていた。

 

書きながら気づいたけど、面接を受けたポジションはしいていうなら「事業推進」で、営業や編集といったわかりやすいものではない。だから「ビジネスマンのわたし」として話さなければいけなかったんだけど、それができるほど、たぶん「ビジネスマンのわたし」は確立してないんだろう。例えば担当している媒体や所属している業界のような拠り所というかベースというか、そういうものがないわけで、その状態での振る舞い方がわからない。

 

ついでに言えば、スカイプも苦手だ。音がズレるし、電波が気になる。目も合わないし、イヤホンつけて自分の声が大きく聞こえるのも気になる。でもこれはたぶん言い訳だろう。それとも面と向かっての面接だったらまた違ったんだろうか。

 

これを書いている間に元上司からメッセージが来て、結果は明日、スカイプにてフィードバックということになった。彼には一緒に働いていたころに本当にお世話になっていて、せっかく期待してくれてたのに、こんなに不甲斐ない面接となってしまって、情けなさと申し訳なさで、もう涙が止まらない。そういえば、泣くのはシドニーにきて初めてだ。とにかくいまは自己嫌悪でいっぱい。

 

奢らず、謙虚に、初心忘れるべからず

転職した前職の上司に、日本に帰ってくるなら一緒に働かないかと声をかけてもらった。今日はその会社の社長と最終面接。この日に備えて元上司とは先週スカイプで予行練習を2回行い、今朝は考えをまとめるために7時半に会社へ行き、帰り道もブツブツ予行練習しながら歩いた。

 

そうして迎えた最終スカイプ面接。結果待ちの状態だけど、手応えはまるでない。緊張してしまったし、まどろっこしい話し方をしてしまった。

 

準備不足というか、考えが甘かったというか、結局のところ準備したつもりになっていたのかもしれない。肝心の事業をどう拡大していくかという部分について、しっかり考えを話すことができなかった。頭が真っ白になってしまった。

 

元上司にたくさん時間を割いてもらって事前準備ができたというアドバンテージがあったのに、なんと不甲斐ない面接だったことか。シドニーに来て以来、周りの人たちが「仕事ができる」とやたら褒めてくれるもんだから、恥ずかしながらその気になってしまっていた。わたしはビジネスマンとして、全然大したことがない。奢らず、謙虚に、初心忘れるべからず。

世の中には「なんとなく」で話が進む会社もある

シドニーの職場と、日本で働いていたときの職場は、全然違う。規模や社風も違うけど、ひとつ大きなカルチャーショックだったのが、「要は?」とか「なんで?」って誰も言わないこと。

 

前職では、だらだら話そうものなら「要は?」と話を遮られた。それを繰り返すうちに、「結論→理由」という話し方ができるようになって、すっかりそれに慣れたから、要点がよくわからない話をみんなが辛抱強く聞いていることに驚いた。

 

新卒時代の初めての上司はとにかく「なんで?」と聞き続けるタイプだった。「なんでなんで攻撃」を連日受けたことにより、今では「なぜそう思うのか」「根拠はなんなのか」といった裏付けを意識する癖がついた。なんなら、根拠がない話は気持ち悪くて聞いていられない。でも今の職場では、割と「なんとなく」で話が進む。わたしは依然として根拠を提示し続けているけど、あまりみんなそれを気にしているようには見えない。

 

コンサルなんかと比べれば甘いとは思うけど、前職はロジックを重視する風土だった。その会社しか知らなかったから、こんなにロジックを無視する会社もあるのか!と、今の会社で働き始めてショックを受けた。

 

今の会社は「オーストラリアに住む日本人向けの情報サイト」という限られたマーケットと、競合があまりいないという特殊性もあって成り立っているんだろう。ビジネスだからロジカルに考えた方がいいとは思うけど、世の中はそういう会社ばかりでもない。

「友達に用もないのに連絡したら迷惑」は大間違い

定期的に連絡をくれる高校時代の同級生や前職の同期がいる。わたしの近況を気にかけてくれたり、彼女たちの近況を教えてくれたり、内容はその時々でさまざまだけど、連絡をくれるということ自体がすごくうれしい。

 

彼女たちの日常の中で「そういえばどうしてるかな?」と思い出してもらえること、何かあったときに連絡しようと思ってくれてること。自分がそういう存在であることに幸せを感じるし、そんな友達がいることが誇らしい。わたしのこれまでの人生は捨てたもんじゃないぞ、という気持ちにもなる。

 

連絡をくれるだけでもハッピーなのに、さらに2人の友達が実際にオーストラリアまで遊びに来てくれた。1人は昨年の11月に、もう1人は昨日からシドニーに滞在していて、週末には一緒にエアーズロックに行く。

 

東京とシドニーは直行便で10時間弱。ヨーロッパや直行便がない南アフリカなんかと比べれば来やすいし時差もないけど、それでも遠い。第一、貴重な休みに他の魅力的な旅行先を蹴ってオーストラリアを選んでくれることがありがたい。しかもわたしが住んでいるのは、本気出したら1日でだいたい見終わるシドニーだ。

 

人に心を許して本当の意味で仲良くなるのが苦手なわたしにとって、気心の知れた友達が遊びに来てくれるのは、ものすごくうれしい。ベラベラベラベラしゃべり倒し、テンションがとんでもないことになっているのがわかるけど「こんなテンション上がっちゃって『こいつよくしゃべるな〜』と思われてんだろうな」と自覚できても全然抑えられない。

 

離れてみると、日本にいる友達が恋しいし、自分にとっての彼女・彼らの存在の大きさがよくわかる。だからこそ、ちょっとした連絡が死ぬほどうれしいし、実際に遊びに来てくれた日には舞い上がるほど幸せな気持ちになる。自分が外国に住むまでは「用もないのに連絡しちゃ迷惑かな」なんて思ってたけど、とんでもない大間違いだった。

街中でのイヤホンマイクが普及すれば、歩きながら英語の練習ができる

シドニーの街中で、マイクがついているイヤホンで手ぶらで電話をしている人をよく見かける。パッと見は大きな声で独り言を言っているみたいだからギョッとするけど、彼らは意に介さずしゃべりながら歩いているので、今はもうすっかり慣れた。

 

日本で歩きながらイヤホンマイクを使っている人はこんなに多くなかったように思う。もしかしたらわたしが日本を離れたこの1年の間に普及しているのかもしれないけど、少なくともわたしがいた2015年まではあまり見かけなかった。

 

街中での手ぶら電話を日本で見かけないのは、日本人が周りの目を気にするからじゃないかという気がしている。オーストラリアに住む人はどうやらあまり他人の目というものを気にしないようで、だから平然と裸足で街中を歩くし、太っていようと着たい服を着る。

 


イヤホンマイクで話しながら闊歩する人が多くいるおかげで、わたしは通勤時間に歩きながら英会話の練習ができている。イヤホンさえしていれば、声を出して英語を話しても不審に思われない。おかげさまでiPhoneに入れた瞬間英作文が大活躍だ。

 

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

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人目を気にしないのがすべてにおいて良いというわけではないけど、この国くらい日本人がおおらかだったら、日本に蔓延するストレスの7割くらいは消滅しそうだ。