fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

「指切りげんまん」の歌の矛盾

この間読んだ本に書いてあった、「指切りげんまん」の歌の矛盾の話がおもしろかった。

 

いわく、「『嘘ついたら針千本飲ます』っていうけど、嘘をついたとしても本当に針千本を飲ますことはないわけだから、この歌自体が嘘をついていることになる」と。

 

「嘘をついてはいけない」という言葉はよく耳にするものの、実際に嘘をつかずに生きていくことはとんでもなく困難だ。周りの人を傷つけ、人間関係が上手くいかなくなるであろうことは想像に難くないし、いつも本当のことしか言えないとなると逃げ道もない。現に「嘘も方便」なんて言葉もある。

 

「人生は小説より奇なり」というけれど、そもそもフィクションの小説もマンガも映画もドラマも、言ってしまえば嘘だ。フィクションのない世界なんて味気ないし、嘘のない人生だっておもしろくもなんともない。

 

村上春樹の小説に「貧弱な真実より、華麗な虚偽を愛する」とあったが、わたしはこの考え方に大賛成だ。例えば恋人から「ごめん、浮気しちゃった」なんて、絶対に言われたくない。相手を愛していて、関係性を保ちたいのであれば、そこは嘘をつき、絶対にバレないようにするのが優しさだと思う。たとえ相手の言っていることが嘘であっても、それを真実と認識していれば、その人にとってその嘘は真実になる。しょうもない真実を知るくらいだったら、死ぬまで騙され続けて幸せでいたい。

 

一言に「嘘」といっても、嘘と真実の間にあるものはさまざまだ。悪意や利己心による嘘もあれば、優しさやユーモアのための嘘もある。

 

こんなことを考えていくと、「嘘ついたら針千本飲ます」の矛盾は、すごく人間っぽい。