fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

女として扱われたいのに、女扱いをされたくないという矛盾

「女性でも非常に飲みやすいテイストだから飲んでみて」と、とあるビールを知人の男性からすすめられた。

 

わたしが好きなのはIPAという種類のアルコール度数が高く苦味が強いのが特徴のビール。日本酒だったら「スッキリして飲みやすい」よりも「どっしりして飲みにくい」ものが断然好みだし、軽やかな白ワインよりも重たい赤ワインを選ぶ。

 

だからだろう。「女性でも飲みやすいテイスト」という一文が妙に引っかかってしまった。なんだかジェンダー論のようだが、ここで書きたいのは「女性性の押し付け」といった類の話ではない。

 

ビールが苦手な女性は多いし、「女性は甘かったり軽かったりの飲みやすいお酒を好む」というイメージが一般的にあることはもちろん分かっている。

 

これが「プールサイドにはパラソル付きシートがあるから女性にもおすすめ」だったら、違和感は抱かなかっただろう。なぜならわたしは紫外線と日焼けを気にしているし、女性は一般的に日差しを遮りたいものだと思っているから。

 

そこで対象とされている女性に自分が該当しないとき、そこで定義されている女性のイメージが自分と一致しないとき、「女性だから」、「女性でも」、「女性ならでは」といった表現はとても居心地が悪い。

 

でも一方で、「女性なのに強いお酒好きなんだね」、「女性なのに一人旅が好きって珍しいね」といった、自分を特別扱いするかのような「女性なのに」はうれしい。そこで定義されている女性に自分が当てはまっていないのは同じなのに、優越感を抱く自分がいる。

 

たぶん、わたしは自分の好みが女性っぽくないことを自慢したいのだろう。「そこらの女と違う女」になりたい。そう考えれば、女性が好むビールをすすめられてモヤっとしたのも合点がいく。「わたしはそこらの女と違ってそんなビールは好みじゃないんだから!」という意識の表れだ。

 

ややこしいのは、わたしは「女性であることを否定したい女性ではない」ということ。女って楽しいと心底思うし、男性からは女として扱われたい。女として見られていない「女性なのに」はまっぴらごめんだ。見た目だってキレイでありたいから、シミが増えるのを恐れて日陰に行く。でも、普通の女とは思われたくはない。

 

そのくせ、「女性らしからぬ」部分は酒の好みや好きな漫画のジャンルといった瑣末な部分だけで、本質的な自分は呆れるほど「一般的な女」だ。

 

恋人ができれば彼が中心の生活になり、恋人に料理をつくることに喜びを感じ、仕事と愛だったら間違いなく愛を取る。なにか気に食わないことがあっても察してほしいと不機嫌に振る舞い、「怒ってる?」と聞かれれば「別に」と答える。「女の子だからコーヒーよりキャラメルマキアートの方がいいかな?」なんて言われても全く気にしない。普段なら「わたしはそこらの女と違ってブラックコーヒーが好きなのにナメたこと言いやがって」と胸の内で毒づくのに。

 

きっと自分がありふれたつまらない女であると知っているからこそ、他の女との違いを出したいのだろう。差別化して、価値がある女になりたいのだ。だから自分を好きだと言ってくれる男が「そこらの女」のイメージを元になにかを言ったとしても気にしない。だって彼はすでにわたしに価値を見出してくれているから。

 

女として扱われたいけど、女扱いをされたくない。この矛盾は、きっと自分に対する自信のなさの表れだ。見た目も中身も人並みだから、一生懸命「人とは違うポイント」を主張して、それで自尊心を保っている。

 

だからわたしは「女性でも飲みやすいテイストのビール」をすすめられたことに憤りを感じたのだ。数少ない、わたしの「人と違うポイント」が無視されたから。なんというめんどうな自意識か。

 

些細な他人との違いをアピールして「自分が特別である」と思うことは、裏を返せば自分が特別でないことを認めているのと同じこと。それがわかっているからこそ、人と違うポイントを必死に探そうとする自分の小ささにうんざりする。

2017年の抱負

新卒で入った会社を辞めて1年が経った。2016年はフィリピン行って、日本でダラダラして、オーストラリアにきて、仕事にもつけた。ビザが切れる8月までは今の生活が続くだろうから、当面は生活の基盤を作る心配をしなくて済む。(生活の基盤を作る心配をしなくて済むって、そういえば初めての感覚)

 

2016年はその場その場で出会ったことに流れてみたり、流れが止まりそうになったら勢いで別の流れに乗ったりと、根無し草のように生きてきたけど、2017年も引き続きその時々で遭遇したおもしろそうな流れに乗って、すこしフラフラしてみたいと思う。それに加えて、「舞い込んできた仕事はとりあえずやってみる」をモットーにしたい。

 

2016年11月からフリーランスとして数本の原稿を書くチャンスを得ることができた。とりあえずやってみるとこで、今後の方向性や新しい価値観、判断軸、考え方を絶対に得ることができる。たかが2ヶ月だけど、さっそく学んだこともあった。

 

社会人として仕事経験をそれなりに積んできたとはいえ、1社しか知らない私はまだまだひよっこ。謙虚さを忘れずに、でも自分の実力を卑下することなく、どうにかうまくバランスをとって仕事をしていけたらいいな。このバランスの取り方がなかなか難しいことが知れたのも2016年の大きな収穫。

 

今週のお題「2017年にやりたいこと」

外国人にとって「日本人女性はすぐヤレる」のは「バカがかわいい日本」だから

世界的に有名なシドニーのNew Yearの花火を15人くらいで見に行ったら、そこにいた27歳日本人女性を見て、「日本はロリコン文化なんだなぁ」となんだか花火そっちのけで考えさせられてしまった。

 

グループには、ビールやらなんやらを散々飲んだ後にジンの中瓶を一人で飲み干してすっかり酔っ払ったポルトガル人男性と、27歳日本人女性がいた。仮にゆうこちゃんとしよう。

 

ゆうこちゃんはなんだか幼い印象で、老け気味の大学生にも、子供っぽいおばさんにも見えるタイプ。21歳と言われても34歳と言われても驚かないような見ためで、身長は小さく、声は不自然に高く、ポルトガル人からは「10 years old!」と完全に子供扱い。

 

「Fuck you!」などの汚い言葉を連発しながら、「意味わかるか?へへへ」とゆうこちゃんに迫る酔っ払ったポルトガル人。ゆうこちゃんは舌ったらずな口調で「ふぁっくゆー?あいどんのー!」と、他の日本人女性の「あんまり大きな声で言わない方がいいよ」という忠告を無視して、無邪気に振舞っていた。

 

まずここでひとつ。外国に興味がない人ならつゆ知らず、ゆうこちゃんはオーストラリアに留学中。本当に知らないなら海外で生活する上で危険だからもっと勉強した方がいいよ!という感じだが、どうも演技臭が漂う。

 

ふと、大学生のころを思い出した。

 

男「首相の名前わかる?」

女「えーっとぉ、えーっとぉ」

男「わかんねーの!?おまえやばくねー!?ぎゃはは」

女「ひーどーいー!ぷんっ!」

 

勉強そっちのけで遊ぶことに熱心なタイプの大学生男子が群がるのはこの手の「何も知らない」女子だった。優位に立ちたいけど自信がないから自分よりバカな女を求めるんだろうから、こういう男性自体がアホらしいはずなのに、ちやほやされたいばかりにバカを振る舞う女性は少なくない。(恥ずかしながら私も試みたことがあるが、老け顔だったため成立しなかった)

 

ゆうこちゃんはバカっぽく、子供っぽく振舞っているように見えた。これが日本なら特に気にも止めなかったと思うが、外国で、相手も外国人で、周囲もほぼ外国人という環境になると、この振る舞いはものすごく恥ずかしいものだった。

 

花火が始まってからも、

「煙あっち行けー!」(風がなくて煙が残り、花火が見えずらかった)

「みんなが幸せになりますようにー!」

と、甲高い舌足らずな声で叫ぶゆうこちゃんが気になって仕方がない。あまりに挙動が子供すぎる。繰り返すが、ゆうこちゃんは27歳だ。

 

そもそも外国人女性、特に欧米の女性は声のトーンが総じて低い。振る舞いは大人っぽく、子供ですら大人みたいな話し方をする。たいして海外経験が豊富なわけではないが、幼稚に見せようとしている人を見たことがないし、「無知がかわいい」という考え方もない。どちらかというと「バカ=ヤレる」の発想。

 

ここで思い至った。「日本人女性はすぐヤレる」というのはこういうことか、と。

 

実際にゆうこちゃんは酔っているのか酔ったふりをしているのか、ふにゃふにゃしていて、簡単にヤレそうに見えた。危なっかしくて、恥ずかしくて、とても見ていられなかった。

 

27歳までゆうこちゃんがこういう挙動で生きてきたということは、日本でこれまでその挙動が受け入れられてきたということ。この手の振る舞いが好きな女性はほぼいないだろうから(この日いた日本人女性の多くはドン引き)、受け入れてきたのは男性なのだろう。彼女の恋愛遍歴は知らないけど、こういう女性をかわいいと思うであろう男性の心当たりは、多くない私の男友達の中にもある。

 

女性の好みは人それぞれ。バカっぽくて子供っぽい女性が好きである男性がいてもいいけれど、その需要に乗っかって、わざわざ大人の女性がバカっぽくて子供っぽい振る舞いをする必要はない。そういう女性が好みの男性が好きだったり、そういう女性がなりたい女性像だったりするのならこれまた否定はしないけど、多分ゆうこちゃんは無意識なんだろうな。。

 

肝心の花火はというと、風がないために煙が流れず、煙が立ち込める中で上がり続ける花火はまるで空爆のごとし。花火がキレイに見えなかったのは残念だったけど、「何も知らない子供のような振る舞いをする27歳女性」が受け入れられてしまう日本の気持ち悪さを体感できたのは大きな収穫。