fusachikoの日記

会社を辞めて、外国へ。

仕事がたくさんある幸せ

長期で出張に行っていたボスが帰ってきた。出張先で受注した案件やら今後生じる仕事のあれこれに関する仕事を依頼されて、少し忙しくなった。それがすごくうれしい。

 

どんなに定時に帰れようと、仕事に余裕があろうと、わたしにとって大事なのは仕事の充実だ。仕事がおもしろくない中で定時に帰れてもたいした意味はない。

 

仕事が充実していて、業務量もそれなりにあって、それで残業せずに仕事を切り上げられるのが理想。少なくとも、たくさんある仕事をどう処理するかを工夫することがやりがいにつながる。

 

自分にとって心地よい働き方が見えてきたのは、仕事を辞めて外国に来てみて一番よかったことかもしれない。

オーストラリアあるある「期待値を下回る」

今日は世界最大級のLGBTイベント「Mardi Gras」の最終日で、目玉イベントのパレードがあった。グーグルマップもレインボーカラー。そのくらい大規模なパレードだ。

 

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今回も男性器を猫耳に見立てたカチューシャをしている男性とか、こぼれんばかりのおっぱいをゆさゆさと見せつけてる男性だか女性だかよく分からない人とか、派手なブリーフ一丁のおじさんとか、観客は思い思いの格好で沿道に集まっていた。みんな明るく楽しそうで、前にブログに書いた通り、本当に素晴らしいと思う。

 

fusachiko.hatenablog.com

 

ただ、このパレードに関しては、「期待していたほどではないかな」というのが正直な感想。パフォーマンスがあると聞いていて、たしかにあったけど、そんなに完成度が高いわけではないし、ちょっとだらっとしているというか。パレードよりも、沿道にいる人たちを見ている方がよっぽどおもしろかった。

 

こういう「思ってたよりも、うーん……」というのは、オーストラリアあるあるだったりする。おもしろそうだなと思って行った展示会やイベントで、「え?」と思うことは少なくない。前に取材したオーストラリアで活動している日本人俳優が「この国は、あまりエンターテインメントやアートのレベルが高くない」と言っていたのを、最近身をもって感じている。

「ありがとう」と「ごめんなさい」は忘れずに

職場に、どうも好きになれない人がいる。熱い気持ちを持っていることはわかるし、そこに同意はできるし、不器用だけど仕事に一生懸命なこともわかる。チャーミングなところも発見した。でも、どうも好きになれない。

 

なんでだろうなぁと考えていて、ようやくわかった。その人から「ありがとう」と「ごめんなさい」を言われたことがないからだ。

 

高速で原稿を仕上げたときにも、その人が課題だと言っていたことに対する施策案を出したときにも、「ありがとう」がない。仕事の納期が差し迫る中で突然の重ための修正を依頼されたときには「ごめんなさい」がなかったし、対応したあとも「ありがとう」がなかった。

 

心のうちはわからない。申し訳なく思ってくれているのかもしれないし、すごく感謝してくれているのかもしれない。でも、少なくともわたしには伝わっていない。

 

小学生の標語みたいだけど、あいさつと、ありがとうと、ごめんなさいは、どんなに偉くなろうとも、年上になろうと、絶対におろそかにしてはいけない。気をつけよう。

いい仕事、いい人生

昨日の続きです。

fusachiko.hatenablog.com

 

わたしにとって住む場所はどうでもいいことがわかって、じゃあ何が大事なのかというと、それはたぶん、仕事だ。

 

今の職場では、ウェブサイトの製作チームに所属している。日本で働いていたときもウェブサイトの企画・編集の仕事をしていたから、仕事の内容はあまり変わらない。今後もこういう仕事をやっていきたいと思っているから、方向性は問題ない。

 

ただ、圧倒的に業務量が少ない。むしろ、足りない。仕事が物足りなくて、依頼される案件しかやらないのもつまらないし、それならばと思って新企画を提案してみたり、サイトの数字分析をしてみたり、もっとたくさんの人にみてもらうための施策を考えてみたり、といったことを昨年末くらいからするようになった。

 

ミーティングの場を設けてもらって、営業やシステムや社長に説明し、実際に実行に移したものもある。ただ、どうも腰が重い。製作サイドからの提案になれていないのと、老舗の会社で、上の人たちはおじさんで、おまけにウェブの知識がほぼない。新しい提案に対し、否定的な意見も多い。

 

わたしもわたしで、今年8月には日本に戻るつもりで、つまりいまの職場は期間限定。だから、どうも「絶対にこの企画を通してやる!」という熱意がわかないというか、「みんな乗り気じゃない企画を頑張って通したってわたしがいなくなったら続かないんじゃないか」とか、「あと数ヶ月で日本に帰るやつがガーガー言って迷惑なのかもしれない」とか、余計なことを考えてしまう。

 

残業は一切ないし、仕事に追われることもない。でも、正直に言ってつまらない。そう気付いてしまったときに、初めて日本に帰りたいと思った。腰を据えて、働きたい。愛せるサービスに携わって、仕事に熱中できる人たちと、密度濃く、前を向いて働きたい。

 

ワーホリビザは30歳のうちに申請すれば31歳まで使えるから、わたしはもう1年ワーホリビザが取得できる。だからオーストラリアのあとはカナダとかアイルランドとか、他の英語圏に行こうかなと思っていたけど、海外に住んでみたいという気は済んだし、もう充分かな、というのがいまの気持ち。

 

30歳という節目のタイミングで、自分にとって大事なことが見えてきたのは、とても大きな収穫だ。

海外で暮らしてみて、住む場所はどうでもいいことがわかった

生まれてから29年間、ずっと東京で暮らしていた。東京を離れたことが最長2週間くらいしかなくて、「このままこんな狭い範囲をうろちょろしていていいんだろうか」と思ったのが、海外で暮らしてみたかった理由のひとつ。

 

去年は4ヶ月フィリピンのセブ島に、そしていま、シドニーに住んで半年が経った。たいして長い期間ではないけど、初めて東京以外の場所で生活してみて、わたしにとって住む場所はそんなに重要なことではないのかもしれないと思うようになった。

 

わたしは、ほかの人よりちょっとばかし適応能力が高い。電気や水道といった基本的なインフラが整っていないところはちょっとわからないけど、トイレットペーパーを流せないフィリピンもゴキブリがたくさんいるシドニーのシェアルームも3日で慣れたし、それなりに快適に過ごせる。生活する上で何か不便があっても、どうにか工夫して少しずつ暮らしやすくなっていく過程が好きでもある。

 

そして、けっこうタフだ。フィリピンで水やら油っぽい食べ物やらでみんながお腹を壊したり、気候の違いから体調を崩したりするなか、わたしは一人、ピンピンしていた。嫌いな食べ物はないし、食への好奇心が強いから現地の訳のわからない食事をワクワク楽しむことができる。スーパーで売っている見慣れない食材にもすごく興味があるから、日本で馴染みのある食品が手に入らなくても全然かまわない。

 

そんなだから、たぶん、よほどの僻地だったり発展途上国でなければ、どこでも暮らしていける。

 

そしてもうひとつ気づいたのが、どこの国も特別好きでも嫌いでもないということ。日本が最高とも、フィリピン大好きとも、オーストラリアがすばらしいとも思わない。かといって、それぞれの国が嫌いなわけでもない。つまりは、どこでもいい。

 

じゃあ何が大事なのかを考えたときに、自分にとって大事なものが見えてきた。続きはまた明日。

英語の上達を実感したいときにすべきこと

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公用語も母国語も英語のシドニーで生活をしていると、みんなが話す言葉は当然英語だ。それはそれは流暢にベラベラしゃべるわけで、わからないことばかり。まれに「あ、前よりスラッと言葉が出たかも」なんて思うことはあるけど、それよりも聞き取れなかったり、言いたいことが言えなかったり、落ち込むことの方が多い。

 

でも先日イタリアに旅行に行って、自分の英語力が確実に伸びていることが実感できた。

 

理由はおそらく3つある。

 

1つ目は、イタリアが英語圏ではないこと。お互い母国語でない、不得意な言語で話しているわけだから、難しい単語もなければ話すスピードもゆっくり。やたら巻き舌だったりするイタリア訛りはあったけど、こちらもジャパニーズアクセントなわけで、お互い様なのが安心感につながる。

 

2つ目は、いつも一緒に旅行をする友人との比較。今までは二人して「?」状態だったのが、今回はわたしだけ理解できている場面がたくさんあった。これは大きな自信になった。親愛なる友人よ、ありがとう。

 

3つ目は、過去の自分との比較。前に海外旅行をしたときに苦労したことが、なんなくできる。例えば、これまでは道がわからないときにその辺の人に聞くのは最終手段だったけど、今回は驚くほど気軽に聞けた。英語だけじゃなく、言葉の壁がある中でのコミュニケーションに慣れたことが最大の要因だと思う。

 

はたして自分の語学力は伸びているんだろうか、と不安に思うなら、やるべきことはレベルテストを受けることでも資格試験の点数を確認することでもない。英語がそれなりに通じる英語圏以外の国を訪れることだ。

「家族がいないからかわいそう」は傲慢だ

家族を幼い頃に亡くし、施設で育ったという男性に取材をした。周囲の人に笑ってもらうことが、楽しみながら自分の居場所を見つける唯一の手段だったと話す彼は、とても明るい人で、路上パフォーマーとして活動している。

 

施設で育ったから、家族がいないから、かわいそう。そんな考えを周りが勝手に抱くべきでは絶対にない。彼と話をしていて、そんなことを再確認した。

 

第一、自分の生まれ育った環境が、その人の”当たり前”だ。両親が恋人のように仲良しな家庭で育てばそれが本人のスタンダードになるし、逆もまたしかりだ。母子家庭や施設生活だって同じこと。一般的にみて普通じゃない育ち方をしていたって、本人にしてみればそれが普通だ。

 

それなのに、自分がいわゆる普通の家庭に育ったから、家族がいなくて施設で育った人のことをかわいそうだなんて、傲慢甚だしい。そりゃあ、「施設の生活がさみしくて布団の中で毎晩泣いていたんです」みたいな話を相手がしたならば、それはたしかにかわいそうかもしれない。でも、そういった話がない中で、「施設=かわいそう」「家族がいない=かわいそう」だなんて決め付けは絶対にしてはいけない。そんな失礼な話はない。

 

本人のことをよく見ずに、一般的なイメージだけで勝手にレッテルを張る。そんなことをする人にはなりたくないと心底思うけど、気をつけないとついやってしまう。歳を重ねるごとに、わかったつもりになりがちなことに対する自覚と危機感を忘れずに、いつまでもフラットに、柔軟な人でわたしはありたい。